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ケガと常習(修習) Injury and Abhyasa

SHANTI-LOTUS Daiです。

今回は自分自身の現在の体験を通して、

「ケガからの学び」について。


今、ぼくは首と右膝を痛めています。


首は9月前半に痛めました。

首に強烈な寝違えのあった日に、無理してカポタアーサナしたことが原因。

でも、カポタは悪くない。

身体の調子を蔑ろにして、アーサナに執着した自分が悪い。


右膝は6月中旬。

エーカパーダシルシャーサナで足を頭に掛けにいったことが直接的には原因ですが、

エーカパーダは悪くない。

そこにエゴのあった自分が悪い。


そんなこんなで、

かれこれ4ヶ月ほど痛みと向き合いながらの練習を続けています。

体に不調があると、

自分が納得のいく動きができなかったり、満足いく練習ができません。

・・・当たり前ですが。


それでも自分と向き合いながら、

その瞬間瞬間の自分をありのまま受容し、

無理しない範囲で練習は続けています。

逆に、

ゆっくりと無理ない範囲で一つひとつを見直しながら練習できる機会をもらえた、とも捉えています。


ヨガは実践哲学です。

実践なきところには学びも成長もありません。


ヨーガスートラでは、

「修習(Abhyasa)は、長きにわたり、休みなく、大いなる真剣さをもって励むならば、堅固な基礎を築く」と説きます。


ともすれば、人は安きに流れやすいイキモノ。

生存本能なのか、悩は生まれつき楽をしたがる特性を持つからです。


だから、

心の性質を知り、

自分と向き合い、

「大いなる真剣さをもって」献身的に取り組む。


練習だけでなく、

日常においても、

全てのシーンにおいてこのことは役に立つ。


体を痛めたときの学びは本当に多いです。


「なぜ痛めたのか」


そのプロセスを振り返るとき、

それに至るまでの心と身体の状態、

そこまでの日常の過ごし方、

全てが繋がっていたとわかります。


それを知る上でも、

ヨガは実践に収斂するんですね。


アシュタンガヨガの祖であるGuruji(Sri・K・パタビジョイス)は、

「八支則の全てはアーサナに帰着する」と言います。


アーサナを常習(Abhyasa)することは、

身体に変化を与え、心に変革を起こします。

さらに、変革した心は意識を瞑想へ導きます。

そして、瞑想を続ける意識は三昧(サマーディ)への道を辿るのです。

このため、常習は必然的に八支則を実践しやすい自らを作り上げていくのです。


ケガはしないことが最も大切。

しかし、常習することで、ケガをした自分自身を俯瞰し、分析し、認め、

どうあるべきかを学べる自分自身であれます。


ヨーガは深淵にして最良の「心の科学」です。

OM.



@dai_shanti-lotus


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